たった数日の車椅子だったけど
父と数日の入院期間の車椅子
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数年前、私の父が入院しました。幸い手術してよくなり、今は元気です。
ですが、手術を行ってから一時期ではありますが車椅子に乗っていました。
なんだそれっぽっちかという程度かもしれませんが、
そんなわずかな期間でも父は思うことがあったみたいです。
まず、普通に歩けることがどれほど素晴らしいことか実感したと言っていました。
今までは特に意識したこともなかったみたいですが、
歩くのが辛くなって初めてそのことに気づいたみたいです。
ですが、こういうことは珍しくないと思います。
思ったように歩けなくなって初めて歩けていたことの素晴らしさを知る、
こういうことは経験したことがある人も多いはずです。
父はそれを車椅子に乗ることで初めて知ったわけです。
ですが、他にも大変なことがありました。
車椅子で動くということは、手を動かさなければならないということです。
車椅子での苦労
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最初はそれが凄く大変だったみたいです。
ですが、看護師さんが甘やかすことはなかったようです。
狭いところは急なカーブがあるところはさすがに押してくれたみたいですが、
そうでもないところは付き添いがありながらも基本は自分で動かしていたみたいです。
普通は看護師さんが押してくれるものだと思っていたので
驚きはしましたが、こういうのもありだなと思いました。
父は手を傷めていたわけですはないですし、確かに自分で動かさない理由はありません。
あえて放っておいてくれていた看護師の方に感謝したいくらいです。
何故かというと、父は自分で車椅子を動かすことで、色んなことに気づいたからです。
父は改心したから言ったと思うのですが、
歩くのが遅い人や大変そうな人を邪魔だと思っていたそうです。
大変だし仕方ないと心の中では思っていても、邪魔だと思っていたとのことです。
ですが、車椅子に乗っていると、どれだけ大変か分かったとのことです。
車椅子を利用することによって気づいた
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今まで自分は心のどこかで疎ましいと思っていたけれど、
もしかしたら今の自分も誰かにそう思われているのかもしれないと思ったら、
今までの自分が急に恥ずかしくなったみたいです。
私はそのとき、父はそんなことを思っていたのかとかなりショックを受けました。
自分の親がそういう考え方をしていたというのは、
子供の私にとっては信じがたく少し嫌な気持ちになりました。
ですが、病気をしたからこそそういうことを知れたので、結果的には良かったのだろうかと思います。
今は街で車椅子の人や歩くのが大変そうな人を見かけると、
嫌な気持ちは芽生えることは一切ないそうです。
ではどんな感情なのかというと、ハラハラしてしまうみたいです。
誰かが何か言ったりしないだろうか、溝に引っかかったり
しないだろうかと、つい気になってしまうそうです。
今までの自分だったらとても考えられないみたいです。
数日で学べたこと
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まさか車椅子に数日乗っただけでこんなに考えが変わるのかと、私も父も驚いています。
父の場合はわずか数日だったわけですが、
これから先何十年も車椅子に乗り続ける人はいるわけです。
そういう人の苦労が少しでも分かった父は、きっと町で
困っている人を見かけたら、手を差し伸べることと思います。
私も見習わねばと思いました。
車椅子に乗っていたときの父はとても必死でした。
なんとか前に行こうという気持ちが前面に出ていました。
きっと、たかが数日でも凄く疲れたと思います。
それでも学べたことはたくさんあったのだと、鈍いと言われている私でも分かります。
もし車椅子体験が出来る機会があるのだったら、参加してみようかなと思います。
そして、そのときの父の気持ちや車椅子に普段から
乗っている人の気持ちが少しでも理解出来ればと思っています。
それだけでも、私の中で何か変わるかもしれません。