92歳の母と新幹線での車椅子対応
92歳の母と新幹線
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昨年はリオデジャネイロ・オリンピックが開催され、
併せてパラリンピックの開催もあり、テレビで車椅子バスケットや
車椅子ラグビーの模様も放映されました。身体に障害のある人でも
スポーツを楽しむことが出来るのはまさに車椅子があるお蔭です。
私にとって、車椅子の有難さを感じさせたのは、母です。
母は今年92歳になりますが、70代の頃交通事故に遭い上腕を骨折、
足の骨の一部を移植してから、歩くのが不自由になりました。
それでも日常生活は杖をついて不自由なく歩いていました。
そして、年1回新幹線に乗って岩手から私の住む埼玉まで来るのを楽しみにしていました。
毎年来る度に、今度が最後というのが口癖でしたが、
今まで身体的には何の問題もなく来ていました。
しかし、この2,3年前からは私が岩手へ帰りスーパーで買物をする時などは、
店にある車椅子に乗り、私が後ろで押して買物をするようになっていました。
さすが90歳が近づくころには、長時間歩くことは負担のようでした。
そして、昨年9月には母がこちらに来る時、それまで駅から
新幹線のホームまでの間、距離があり大変そうだったので、
駅の案内をインターネットで調べたら、駅員が改札からホームまで
車椅子で送ってくれることが分かり、早速、乗車日、乗車列車、
母の名前、年齢などを前もって告げ、車椅子利用の予約の手配をしておきました。
駅で迎えの車椅子
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当日、大宮駅で列車を待っていると、迎えの車椅子と駅員も待っていて、
母を載せて改札まで送ってくれ、さらに改札を超えて向かいにある
JR系列のショッピング施設の入口まで送ってくれました、
ショッピング施設では車椅子を借り、屋上の駐車場まで車椅子で行きましたので、
母は結局一歩も歩くことなく無事に我が家に着くことが出来ました。
帰りは帰りで逆の順で車椅子を借り岩手まで帰りましたが、
ちょうど昼食の時間だったので、寿司店に入りましたが、
寿司店にもカウンターに車椅子用の席があり、健常者と同じように
カウンター席で寿司を食べることが出来ました。
それから間もなく、母の弟が亡くなりました。
母は駅での車椅子の利用を経験していたので、自分で駅に電話し車椅子の手配をし、
私の従弟にも駅に迎えに来るよう連絡し、問題なく葬式に行ってきたとの事です。
母の弟は山形の米沢に住んでいましたので、途中福島駅で乗り換える際にも、
JRでは車椅子に載せてホームまで送ってくれたとのことです。
母は電話で、私に駅で車椅子が利用出来ることを教えられたお蔭で
無事葬式に行ってくることが出来たと喜んでいました。
車椅子の有難さ
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その後、母は前から調子の良くなかった
心臓にペースメーカーを入れる手術を受けました。
手術後はもう私のところには行けないと嘆いていましたが、
最近では言葉にも力が戻ってきたようで、私のところに来る意欲を見せ始めています。
おそらく今年もまた新幹線に乗って来ることでしょう。
私としては今度が最後と言わず、生きている限り、新幹線でも
飛行機でも乗って行きたい所に行って欲しいと思います。
それを可能にしてくれるのが車椅子であり、今、改めて車椅子の有難さが分かった次第です。
人間は生きている限り、何時災難や事故に遭い身体が不自由になることがあるかもしれません、
その一次的な精神的ショックは、もう自由に行動出来ないと
思い込んでしまう事ではないでしょうか。
しかし車椅子を利用することよって、色々な可能性があることが分かってくると、
人間は新たな希望を見出すようになるものです。
車椅子は人類が発明した障害者の移動を助ける乗物で、
現在では社会的にもその利用スペースが多くの場所で確保されています。
車椅子はまさに障害者の夢を叶える乗物です。
それが、今後も車椅子とそれを受入れる環境がもっと発展することを願う由縁です。