青春の、汗と涙と車椅子
高校野球児
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幼い頃から、プロ野球選手に憧れ中学校では地域の選抜チームに
選ばれ憧れの先輩のいる高校に進学しました。
自分の入学した高校野球部は都内でも有数の野球が強い学校で有名でした。
この高校で野球がしたいと言う球児が多く毎年全国から多く入部がありました。
憧れの先輩が卒業した後、自分達の世代になりこの年は同じ学年に
全国でも有名なバッターが数名居て、攻撃力もあり勢いがあったので
順調に練習を重ねれば甲子園が狙えるチームでした。
自分もピッチャーでしたが速球が持ち味のライバルのが存在していて
お互いに切磋琢磨しあいながら、高校最後の大会のエースの座を狙って、
来る日の来る日もチーム一丸となって一生懸命に練習励みました。
その練習の甲斐もあって高校最後の甲子園出場の切符を手にできる
夏の甲子園予選を勝ち進め為に倒さなければならないライバル校との
練習試合でも登板し勝利を上げる事が出来き毎日の練習はとてもきつかったですが、
充実した日々を過ごしてました。またチーム全体の雰囲気がよく
試合に出場出来かった選手も、自分が出場しているかのように一生懸命応援してくれ、
マウンド上で苦しんでいる時にその仲間の応援がとても励みになりました。
練習帰りの交通事故
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高校最後の甲子園への切符をかけた大会まで数ヶ月と迫り、
2週間後に背番号が渡される日が近づいていた練習帰り、
いつものように帰宅方面が一緒の仲間と自転車で別れた時、
青春の雲がかかる事故に遭いました。私は狭い道で車とすれ違う際に、
その車のミラーに制服が来かかり引きずられる形で、
転倒したみたいです。右足に痛みを感じました。
その数時間後病院のベットの上で目を覚ますと右足に包帯が巻かれているのが見えました。
即座に自分の青春が途切れてしまったことに気がつき、目を閉じると
練習風景が浮かび涙が込み上げてきました。
数日後チームメートがお見舞いに来た時は、複雑な気持ちでしたが
仲間の一人が「甲子園に行けるようにお前の分まで頑張るから、
一緒に甲子園に行こう」と言ってくれました。
その言葉を聞いて自分でもチームメートに貢献できる事はないかと考え、
日々にリハビリと必勝の願いを込めた折り鶴の作成をしました。
その後県内大会は順調に勝ち進んでで甲子園出場をかけた決勝。
まだ外出許可が出ず病院のベットの上から仲間の勇姿を見守っていました。
チームメイトが車椅子を押してくれた思い出
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その試合は巧打共に噛み合い勝利し、甲子園の切符を手にした瞬間の嬉しさと、
出場出来なかった悔しさは社会人になった今でも忘れる事が出来ません。
そんなベットに上で仲間の勇姿を見も守るだけの苦しい日々に、
光が灯す日が訪れました。いつものように身を覚ますとベットに傍に、
車椅子が用意されてました。初めて車椅子座った時の希望を持った時の感覚と、
車椅子を利用して自分で外出できた際のその嬉しかった記憶も今でも覚えています。
甲子園での第一戦、車椅子でチームメートの応援につける事が出来ました。
憧れの甲子園で、プレーする事は出来なかったですが、
自分が苦しかった時にチームメートが応援してくれたように
一緒の会場でチームメートを応援する事が出来た事がとても幸せに感じました。
自分が思い描いていたようにうまくは行きませんでしたが、
車椅子のよって希望が持てた事により、私の止まりかけていた
青春がまたスタートしました。そのチームはベスト8で敗退してしまいましたが、
その試合の後出場出来たメンバーが私の車椅子を押してくれ、
仲間と悔し涙を共にしながら最高のチームメートと憧れの甲子園を後にする事が出来ました。
私の青春に車椅子が無ければ、もっと苦しい時間が長く続いたと思います。
今となってはいつも一緒にいてくれそばで応援してくれる車椅子が一番のチームメートです。